皆さん、幼い頃の思い出って、それぞれの家族の背景や状況で大きく違いますよね。
私も振り返ると、ちょっと変わった、いやかなり変わった、厳しい家庭環境で育ちました。
今日はその少し特別な生い立ちについてお話ししたいと思います。
物心ついた時から始まったしごき
私の自宅はガソリンスタンドでした。
父は海辺で育ち、その実家は海運や造船業を営んでいました。
そのため海で命の危険を感じた経験を持ち、その危険を子供に伝えたいと考えていました。
幼い頃から「生き残るには強い体が必要だ」と教え込まれました。
だから私と兄弟は、幼少期から体を鍛えるための「しごき」を受けていたんです。
父は本気で、自分が学んだ教訓を私たちにも伝えたいと思っていたのでしょう。
毎日のように早朝のランニングがあり、往復1.6㎞ほどを走っていました。
小学校に入る前です。
それ以外にはあまり記憶がないのですが、しいて言えば又島付近で船から海に投げ込まれたくらいですかね。
あまりにも厳しかったので、家から逃げたいと思っていました。
なので最初の家出は幼稚園の時です。
「出ていけ!」と叱られ、(ラッキー!)と思い祖母のいる金子方面ではなく、身寄りのない朝日方面に家出したことを覚えています。
小学生で始まった柔道の日々
小学生の頃、私は三島柔道教室に通っていました。
その教室は地元の警察の道場で、週に2回、夕方から開かれていたんです。
最初は同じ年の子たちとの練習だけだったので、楽しく練習をしていました。
父のしごきの成果で、私は同級生に比べずっと力が強かったのです。
でも、本当の試練は夜にやってきます。
三島西中学校の柔道部が学校での練習を終えた後、そのまま警察道場にやってきて練習を続けるのです。
私たち小学生もその練習に参加しなければならず、そこで相手をする中学生たちは、私たちにとって大人のように見える存在でした。ですが、この経験があったおかげで、私たちの柔道教室は2度も全国大会にも出場できる強いチームとなりました。
(一度目は武道館が改修中だったため警視庁でした)
柔道だけでなくリトルリーグにも挑戦
柔道に加えて、リトルリーグにも参加していましたが、私はボールの扱いがあまり得意ではありませんでした。
補欠だったこともあり、練習も正直楽しいとは思えず、サボることも多かったです。
それでも家では、父からの素振りの練習が待っていました。
バットには鉄筋が打ち込まれており、通常のバットの倍の重さ。
やりたくなくても、それが日常でした。
体力づくりの一環で飼い犬を散歩に連れていく日課もありましたが、今見てもデカい犬です。
勉強以外の遊びは禁止された小学校時代
小学校の頃は、アニメやゲーム、漫画といったものには一切禁止されていました。
許されたのは読書と体力を鍛えることだけ。
父にとって、私たちが精神的にも体力的にも強い子供に育つことが重要だったのでしょう。
こっそり買った漫画や消しゴムのおもちゃ、プラモデルは見つかり次第焼却炉で燃やされていました。
「反抗期を迎えない子供」を育てる父の教育方針
当時、「積み木くずし」という映画が流行していて、青少年の非行が社会問題になっていました。
父は「自分に逆らわない子供を育てる」という目標を掲げ、ナポレオン・ヒルの自己啓発教材からヒントを得ていました。
その中の「小ゾウの教育」という話がありました。
小さなゾウが自分を繋いでいる細い鎖をちぎれないと信じていると、大きくなって力がついてもその鎖をちぎろうとしないという話です。
その真意は、誰にでも固定観念があり、それを打ち破ることで大きく成長できるというものです。
しかし父はそう解釈しませんでした。
「父親に逆らえないという固定観念を持てば、反抗期は来ない」
結果的に私たち兄弟へのあたりは強くなり、家にある棒状のものは全て私たちをしつける道具となりました。
(しまいには羊羹で殴られるなど)
今振り返ると、父の教育は厳しいものでしたが、強いからだを作り上げてくれました。
皆さんもご自身の経験や家庭の教えについて考えることがあると思います。
どんな経験であっても、それが人生の糧になっているのではないでしょうか?
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!
中学・高校編に続きます。
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