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この記事では、浪人時代の鬱屈と脱出のエピソードをお届けしたいと思っています。
『誰もがそれぞれの地獄を背負っている』と遺したのは紀元前ローマの詩人ウェルギリウスですが、いつの時代も人には抱える苦しみがあるものです。
私の地獄は浪人時代、まさにこの時期でした。
今振り返ると、あの頃の私は本当に心の限界を感じていました。
長く引きこもらされていた生活で、毎日どこにも行かず、ただ机に向かっていたものの、何をどう勉強すればいいのかも分からない状態です。
通信教育の問題を解いても、他の問題が解けるようになる自信がつかめず、今自分がどこにいるのか不安ばかりが募っていました。
そんな中で、時々心の中に暗い考えが浮かんでしまうこともありました。
「父は自分を道具だと思っている。人間扱いしていない。」
「どうしたら父に、今の自分の気持ちを分かってもらえるのだろう。」
「どうやったら、あてつけてでも私の苦しみをわからせてやれるだろう。」と考えてしまうこともありました。
それはあまりにも暗く、自分でも恐ろしくて、誰にも言えないことです。
今風に言うと「闇落ち」というやつですね。
何らかの事情から犯罪を犯してしまった人のニュースを聞くと、私はこの時のことを思い出します。
その人の背負う「地獄」は他人には覗けないものです。
しかし、地獄が何かはわからなくても抱えていることはわかってあげたい、と思うのです。
皮肉なことに、私があの苦しみを地獄だと認識できたことで共感力が育っていたのでした。
やがて、8回目の入試に失敗した時、ついに私はこの家を出る決心を固めました。
父から「次の試験に向けて何をするのか、計画を書いてみろ」と何度目かの決意表明を迫られました。
父は元旦や説教の終わりなどの節目(?)に決意表明を迫るクセがありました。
彼はまだまだ医学部受験をさせるつもりだったのです。
限界に達していた私は、渡されたレポート用紙に今の気持ちをすべて綴りました。
16ページにも及んだその文章は、父の前で読み上げるとき、手が震えました。
本心を打ち明けることが怖かったです。
「自分のやりたいことを言えなかったこと」
「これまで言いつけを破っていたこと」
「もう限界を感じていること」、そして
「この家を出ていくこと」
読み上げながら、言葉が詰まって涙が止まらなくなりました。
姉も母も黙って聞いてくれ、いつの間にか二人も泣いていました。
父はただ黙って座っていましたが、その静かな表情が印象的でした。
全てを読み終えたとき、これまでの想いを吐き出しきったようで、怖いものは何もなくなりました。
この家を出て、もう二度と戻らない覚悟でした。
父がどんな反応をするのか、正直なところ怖かったです。
しかし、彼は静かに「そういうことなら、出て行きなさい」と言いました。
その言葉を聞いたとき、心に不思議な感覚が残りました。
小象の鎖が外れた瞬間でした。
いざ家を出ると決めても、行くあてや元手になるお金もなく、しばらくは弟のいる千葉に身を寄せて新しい生活を始めることにしました。
旅立つ日、家を出る私に父が言いました。
「信じているからな。」
その一言の真意は今でもよく分かりませんが、もしかしたら父なりに、私がしっかりと生きていけることを願ってくれていたのかもしれません。
その時、不思議と心にあったわだかまりがふっと消えていくのを感じました。
これが恩讐というものでしょうか。
これまでの様々な厳しさやしつけも、少しだけ違う意味に感じられた瞬間でした。
こうして、私は新しい一歩を踏み出したのです。
あの時のノートは今も手もとにあります。
読み返すのも恥ずかしい稚拙な内容ですが、折に触れ私の心に勇気を与えてくれるのです。
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